以前新聞で、とにかくイッセー尾形がすごいという記事を読んでから、観たくてたまらなかった映画。
演じたのがリアルな"人間"天皇ということで、日本で公開できるかどうかわからないっていう記事だったので、自分の中にすごく印象に残ってた。 その記事読んだのすごく前な気がしてたけど、撮影されたのは2004年だそうなので、そんなに経ってなくて意外でした。 やっと今日観ることができました。 感想は・・・やっぱすごい!! 何がすごいって、まず映像の美しさ。 ソクーロフ監督が撮影も担当してるんだけど、どうしてあんなに詩情あふれるロマンティックな画面をつくることができるんだろう? 映ってるものは、日本映画と同じなのに・・・。 同じものを映しても、画面に現れる色彩の深さが全然違う。 それに光と影の微妙な質感が合わさって、濃密な室内の空気が見事に映し出されていて、ほんとうにロマンティックです。 イッセー尾形演じる天皇が、ベッドでうたた寝をしている時の、白いシャツとシーツの優雅な質感。 上質な生地のうねりの中に、何色もの"白"が浮かんでいて、それだけでも美しくて感動するほどです。 画面の質感といい、設定といい、ちょっと『ラスト・エンペラー』を彷彿とさせる映画でした。 ヴィットリオ・ストラーロの映像も大好きなのですが、このソクーロフ監督も大好きになった。 どちらも"質感で見せる"ことができるアーティストです。。 同じ日本人の俳優を撮っても、こんなに違うというのを見ると、一体どこに原因があるんだろう?って考えてしまいます。 「陰翳礼賛」な日本人の生活様式を、ロシア人の薄い色素の瞳から見ると、こんなふうに美しく見えるのでしょうか。 同じ色を見ているように思えても、私たちが見ている色は、人によって少しづつ違っているのです。 色素が薄い瞳を持っている人ほど、薄い色や、微妙な色の違いを見分けることができて、瞳の色が濃くなればなるほど、濃い色のサングラスをかけたみたいに、繊細な色を見分けにくくなるのです。 だから瞳の色が濃い人ほど、はっきりした色合いを好む傾向にあります。 瞳の虹彩の色は、メラニン色素の量で変わるそうです。 だから、肌の色が黒いほど、瞳も黒に近づくわけです。 真っ黒な瞳を持っているアフリカや南の島のアーティストが描く絵は、原色の色彩だし、薄い色の瞳を持つ北欧のアーティストが描く絵は、淡い色のハーモニーだったりします。 それぞれの生活圏で好まれる色も、瞳の濃さに対応してるのです。 この映画の繊細な色調も、ロシア人の薄い色の瞳あっての賜物なのかもしれません。 パプアニューギニアの人が観たら、全然違って見えるんでしょうねー。 そしてやっぱり、イッセー尾形が上手! 私、イッセー尾形って全く好きではないのですが、それなのに見ていて綺麗だと思いました。 いちばん綺麗だったのは、指! 対外的には「恐るべき独裁者で侵略者」とみなされていて、でも実際はマッカーサーが言ったように「まるで子供」な天皇のイノセントさが、白くって繊細な指に表れてました。 出口のない戦況、逃げ場のない皇室での生活、戦時下に避難もできず閉じ込められて、まさに重大な決断を迫られている。 そういったどうしようもない閉塞感と焦燥感を、観客も一緒に息を詰めて見守っている、そんな映画でした。 こう書くと重そうだけど、まったく退屈させないのがこの映画のすごいところです。 音楽や効果音の使い方がまた上手だった。 最初は意識しないように鳴っているのですが、微妙なノイズなどの音響効果で観客はどんどん追い詰められていきます。 いちばんすごかったのは、天皇の夢に出てくる空襲のシーン。 魚影が戦闘機に姿を変えて、都市を爆撃していきます。 真っ暗な中、餌を求める深海魚のような爆撃機が、街を火の海に変えていきます。 CGなんだけど、どこかダークなところがロシアっぽい。。 それがまた恐怖感を増幅させてました。 イッセー尾形、ほんと昭和天皇にそっくりだったけど、役作りってどうやったんだろう?? この映画観た後では、事実がすっかりこの映画に置き換わりそうです。 そのくらい"人間・昭和天皇"の真実味がありました。 好きだったシーンは、皇后(実際の皇后さまの写真。美しい!!)と幼い今の天皇が写っているアルバムの写真にチューするところ。 そしてアメリカ映画の俳優(ハンフリー・ボガードやチャップリン)のブロマイドを集めたアルバムと、女優(グレタ・ガルボやマレーネ・デートリッヒ)のブロマイドのアルバムと3冊並べて眺めているところ。 それに、帰ってきた皇后に、近づきたいし触りたいし抱きつきたいしチューもしたいんだけど、なんかダイレクトに表現できないあの感じ(笑)。 イッセー尾形、うまーい! 父親・母親世代のラブシーンはきっとあんな感じだ。 欧米の人は、何やってんだ??って思うかも。。 ひょっとしたらあの感じは日本人にしかわからないのかもしれない。 皇后が天皇の腕をつかんで、2人が子供の元へと走りはじめるシーンは、さっと空気が変わり、2人がただの若い夫婦になった瞬間でした。 一面の廃墟に煙ったように輝く太陽のラストシーンと共に、エンドタイトルが出た瞬間、なんともすごいショックを感じました。 なんかうまくいえないけど、ずっと抑えてきたものが解き放たれたというか。 ナショナリストの人たちからしたら、クリスチャンと『パッション』みたいな映画なんだろうけど、昭和天皇本人には気に入ってもらえそうな気がします。。
by songsforthejetset
| 2006-11-15 22:17
| 映画
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