そういえば、わたしがヒストリックカーを好きになったのはなぜか、考えたことがありませんでした。 わたしの中では、ヒストリックカーってとっても普通に好きなものとしてあるのですが、女の人の中では珍しいのかもしれないって、今回初めて気づいたのです。 何で好きなのか、理由がよくわからないのですが、なぜかクラシックな車が昔から好きだった。 子供の頃にコーヒー用のお砂糖の袋にクラシックカーの絵がついていて、袋を集めていた気がする。 あと小さい頃に映画館で観た「ラブ・バッグ」や「チキチキ・バンバン」がすごく好きで、それはその後「冒険者たち」、「グラン・プリ」、「サハラ(ブルック・シールズがラリーに出る映画で、隠れた名作です」、「男と女」のような、ラリーやレースが登場する映画が好きなことにつながっていった気がします。 スピードはロマンです。 中学校の頃から、松任谷正隆さんの出る「カーグラフィックTV」が好きで、内容はまったくわからないのに、必ず見ていました。 今考えても何でなんだろう?(笑) なんだか車を"ロマンのあるメカ"として紹介している感じが好きだったのだと思います。 7年ほど前に、いとこが乗っていたのが、このジャガー・マークⅡ。 ヴィンテージものが大好きないとこは、ジーンズ→バイク→車と変遷を重ね、この車にたどりつきました。 ミツオカのビュートのモデルになったという、この宝石のような車に最初に乗っけてもらったとき、わたしに衝撃が。 それは、エンジンの音!! こんなに美しくて、人間の声のような、音楽のようなエンジンの音は、初めてでした。 なんというか、今まで車に乗った時にまったく感じたことのない衝撃を受けたのです。 細くエレガントなハンドルや、マホガニーのダッシュボード、どれをとっても素晴らしかった。 あまりに興奮していとこに驚かれたくらいでした。 残念ながらこの車は、いとこが結婚するときに、「エアコンのない車はいらない」と奥さんに宣言されたために売られてしまいました。。 今思えばわたしが買っておけばよかった。 この車なら乗りたかった。。 あと、神戸・岡山を中心とする春のクラシックカー・ツーリングイベント「ポンテ・ペルレ」を観に行ったりしました。 間近にこんな車が見られるので、もう大興奮でした。 素敵でしょ? 車種とか 知らないの ですが。。 「ポンテ・ペルレ」は神戸の震災復興と明石大橋完成記念に始まった春のイベントです。 11回目の今年からは、「ヴァリオストラーダ」と名前を変えて、2009.4.10~12に開催されます。 神戸、英田サーキット、新庄、倉敷を通るそうですので、ご興味ある方はコースマップをチェックしてみてください。 Vario Strada http://www.variostrada.com/ そして! もしかしたらいちばん影響があるかもしれないのが、白洲次郎さん。 これはお孫さんの白洲信哉さんが、祖父の次郎さんがヨーロッパを車で旅をした行程を追って、ご自分も車で旅された本。 お孫さんから見た「祖父」としての次郎さんの、若き日の姿と旅の様子が描かれていて、郷愁を感じさせる素敵な本です。 この本を読んで、ヨーロッパを車で旅するなんてすごいなあ。。と思っていた頃には、まさか自分も車で旅をする(しかもラリー)ことになるなんて、考えてもいませんでした(笑)。 1925年から26年にかけての冬休み、年越しの12日間を、留学先の英国からヨーロッパ最南端のジブラルタルを目指して、盟友ロビン・ビングと共にベントレーで走り抜けた旅。 中学生の頃から神戸でペイジ・グレンブルックを運転していた白洲次郎さん。 その人生には常に、車とスピードがありました。 1919年から1928年までの英国留学中に、次郎さんはこの写真のベントレーと、レーシングカーのブガッティを所有し、レースにも出場していたそうです。 仲間からは、ロビンとともに"オイリー・ボーイ"と呼ばれるほど、自動車に熱中していたのだとか。 青柳恵介さんの「風の男 白洲次郎」の中には、当時彼らと親しくしていた、キャスリーン・モリソン・ベルさんの回想が美しく描かれています。 1926年に、パリに旅をしていたキャスリーンさんのもとに、突然次郎さんが現れ、ブガッティーでシャルトルまで連れて行ってくれたそうです。 その時速は100マイル(160キロ)、当時としてはとんでもないスピードだったのだそうです。 私達がシャルトルからパリのリッツホテルにもどって来たときには、足の先から頭のてっぺんまで、ほこりだらけでした。 道路は舗装されていませんでしたから。 リッツホテルへ、イブニングドレスを着こんだ人々の中に、次郎のブガッティーで私は髪をなびかせて舞いもどってきたのです。 なんだかしみじみと素敵ですね。 白洲次郎さんについては、いろんなところでちょこちょこ書いているけれど、いままできちんと書いたことはない気がします。 映画「男と女」と同じく、あまりに好きなので、もはや自分の中で普通の存在になっていて、改めて書こうという気がそんなに起きなかったのです。 白洲次郎さんのことを初めて知ったのは、1994年放送の「たけし・さんまの世紀末超偉人100万人伝説」の中ででした。 80歳でポルシェ911を駆るかっこいい老人。 若き日に英国留学し、戦後の占領下の日本で活躍し、政界の中心から退いた後はカントリー・ジェントルマンとして生きた白洲次郎さんの20分ほどの特集に、わたしはすっかり夢中になってしまいました。 かっこよすぎる。。 もちろんその頃はインターネットなんてなかったから、入ってくる情報もなく、のちに青柳恵介さんの「風の男 白洲次郎」という本を見つけた時には、本当に嬉しかったです。 それからたまに別冊太陽や男性誌で特集がされていて、見つけたら買っていました。 インターネットが登場して、最初に検索してみた言葉の中に"白洲次郎"もあったけど、ほとんど情報がなかった気がします。 今Googleで検索したら27万件もある!! いい時代になった。。(T▽T) ここ数年の次郎さんブームで、本は続々発売されるし、書店の催事で次郎さんコーナーができたり、回顧展が開かれたりしていて、人気が出てきたことが本当に嬉しいです!!! 明日はドラマにもなるし!! ただ数々の「伝説」がどんどんオーバーになっていっているような気はしますが。。 ドラマになったらさらに加速しそう。(^^; 武相荘発行のメールマガジンにも、次郎さんご自身が175cmと公文書に書かれている身長が、最近どんどん高くなっていっているので、あと5年もしたら2mを越えてしまうのでは。。と書かれていたくらいです。 旧白洲邸 武相荘 http://www.buaiso.com/ 改めて次郎さんの年表を見てみると、1902年(明治35年)生まれで、うちのおじいちゃんと1歳しか違わなかった! そう考えると、根底に流れる、同じ「明治の気骨」のようなものを感じるから、なんだか好きなのかもしれません。 といっても、よくクローズアップされる「武勇伝」的なところよりも、周りの方々からのお話の中に見え隠れする、人柄の温かさ的なところにとても惹かれます。 いちばん好きなのは、次郎さんご本人のエピソードではありませんが、1985年に亡くなった際の、青山・紀ノ国屋のコーヒー売り場の女店員さんのお話。 いつもイタリアン・ローストの一番細かく挽いたコーヒーを買っていく、冗談が好きな素敵なおじいさんの白洲さんという人が、昭和史の重要な人物だったことを新聞の写真で知り、涙を流したのだそうです。 小さなエピソードですが、次郎さんの素敵さが最も集約されているお話のように思います。 と、次郎さんのことを書いていたらきりがないのでした(笑)。
by songsforthejetset
| 2009-02-27 23:55
| Rallye Monte-Carlo
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