ついに岡山も武将ブーム!!宇喜多秀家☆フェス ~宇喜☆宇喜 フェスティバル~ 最近の武将ブームで人気沸騰中の、 宇喜多秀家のフェスティバルが今週末に開催されます。 と き 平成21年11月21日(土) 午前11時から午後4時 (イベントは午後1時から) ところ 岡山城天守閣前広場 (雨の場合は、不明門) (岡山市北区丸の内2-3-1) 詳細はこちら 先日表町にこのポスターが貼ってあって、思わず激写☆ このネーミングを考えた方、すごいと思います。。 表町の三香堂さんでは、秀家や妻の豪姫、秀家のお母さんのお福の方などをイメージした匂い袋をこのフェスティバルのために製作なさっています。 わたしも香りを試させていただきましたが、本物のお香のいい香りでした! 豊臣秀吉の養子となり、前田利家の娘豪姫を妻にし、26歳で五大老に任じられた秀家は、本当に貴公子という感じがします。 岡山城HP 宇喜多秀家の紹介 これは岡山城蔵の肖像画ですが、ほんと少女マンガみたいで、他の戦国武将の肖像画と全然違う気がします。。実際に秀家はかなりのイケメンで、性格もよかったようで、秀家が大阪城に現れると奥が騒がしくなったほどだったそうです。 アイドルみたいですね^^ この肖像画の秀家の、色白でふっくらとした立派な顔立ちって、岡山県北の男性に多い顔立ちで、県北出身の秀家のお母さん、お福の方が大変な美女であったということを裏付けているように思えます。 男の子ってお母さん似ですし。。 「岡山のクレオパトラ」ともいわれる、三浦貞勝、宇喜多直家、豊臣秀吉から愛されたお福の方。 どんな美しい方だったんでしょうね。 そのお福の方の供養塔が、岡山城から歩いて15分ほどのところにあります。 晴れらんまんおかやま旅ネット 戦国の「三国一の美女」ここに眠る 秀家ファンの方はこちらにもぜひ♪ ご先祖つながりで、わたしも時々お参りに行きます。 岡山県北・勝山の三浦家に仕えていたわたしのご先祖たちは、落城の際、お福の方を備前に逃し、宇喜多直家との縁を取り結ぶ役目をしたそうです。 これはわたしも、元大阪外国語大学学長の牧祥三先生が書かれた、「美作地侍戦国史考」という本を読んで知りました。 宇喜多秀家についても書いてあるので、ファンの方はぜひ。 小説ではないので、ちょっと硬い内容かもしれませんが。。 何度も何度も美作の地に足を運び、膨大な数の古文書や資料を集め、読み解いて書かれた本。 ドイツ文学者で大阪外語大学の学長もなさった牧先生の、品格を感じる文章で構成されています。 この本ができた時には、盟友だった司馬遼太郎さんが出版記念パーティーを開いてくださったのだそうです。 岡山県立図書館にもあるし、国立国会図書館にも収蔵されているそうです。 いろいろなところに配ったのだと、以前先生のお宅にお邪魔した際にお伺いしました。 http://songsfor.exblog.jp/6154231/ この本の中で、「作陽誌」という書物がよく引用されています。 1691年(元禄4年)の地誌だそうで、岡山の歴史や文化についての書物だそうです。 1565年(永禄八年)11月、毛利武将三村家親が高田城を攻略し、城主の三浦貞勝が自刃。 「作陽誌」には、妻のおふくと子の桃寿丸を牧菅兵衛がつれ備前に隠れさせたとあるそうです。 ご先祖一族は勝山の三浦家に仕えていたので、一族存亡の危機に際して、城主夫人とその子を守って宇喜多直家の庇護下に入る手助けをしたようです。 わたしからさかのぼること22代前のご先祖は、牧籐左衛門家信といい、一般には牧国信と表記されることが多いみたいで、「信長の野望」っていうゲームにも登場しているみたいです。 「作陽誌」によると、もともとは牧藤左衛門国信といい、宇喜多直家の妹を妻にいただいて、直家から一字をいただいて家信となり、美作高田城(勝山城)を預かっていたそうです。 「作陽誌」には、お福の方が湯原温泉で湯治なさった際のエピソードでも出てきます。 秀家の命により、当時その地方を治めていた藤左衛門家信が温泉を整備したのだそうです。 岡山県北の湯原温泉は、お福の方が温泉療養をなさったことがきっかけでできた温泉町で、それは1591(天正19年)ごろと言われています。 秀家は1572年(元亀3年)生まれなので、20歳そこそこ。 きっとお母さん思いの青年だったでしょうね。 湯原温泉の部分をちょっと抜粋。 (大庭郡古跡部の項)湯原温泉、湯本村ニアリ、何人ガ鑿闢(さくへき)ヲハジメシヤヲ知ラズ、カツテ備作太守宇喜多中納言秀家ノ母ハ痼疾(こしつ)アリ、医薬験ナシ、湯原は黄門(秀家)ノ臣牧籐左衛門家信ノ奉邑(給地)ナリ、家信宴ニ侍シ、日語(つねに語る)シテ温泉ニオヨビ、極メテソノ奇功ノ尽述(語り尽くせない)スベカラザルヲ言ウ、母公ハ旧作州高田三浦貞広(貞広でなく貞勝)ノ室ナリ、色倫ヲ絶シ、高田亡ブルニオヨンデ直家強イテコレヲ納レ、寵嬖コトニ厚シ、イクバクモナクシテ男秀家ヲ生ム、コレニヨリ、モトヨリソノ温泉ノ効ヲ耳ニセリ、ココニ於いて行装ヲ企ツ、秀家ハ吏ニ命ジテ湯屋及ビ寄宿十余宇ヲ造リ、ヨク営ソワナル、母公湯治スルコト三七日ニシテ、久患トミニ除(さ)ル、コレヨリ遐迩(遠近)ニ伝承シ、来ル者踵(きびす)ヲツラネタリ(下略) (「美作地侍戦国史考」文中の「作陽誌」の抜粋より) これは1586年(天正14年)に、籐左衛門家信が勇山寺に宛てて書いた手紙。お寺の領地のことを説明している手紙です。 「美作地侍戦国史考」にのっているこの写真を見た時には、本当に感慨深かったです。 自分からさかのぼって22代前のご先祖の書いたものが見れるって、すごいと思いませんか? よほどの名家なら珍しくないのかもしれませんが、うちは完全な一般市民で、いま昔をしのばせるものは何もありません(ほんとに)。 でも、こういったものを残そうと努力してくださった方がいて、それを紹介してくださった方がいて、いろんな方の努力のおかげで、自分とつながっている昔の人たちに思いをはせることができる。 それはすごく幸せなことだと思うのです。 いつも思うのは、ご先祖様のことを知ろうとしたり、こうやって書いたりすると、ご先祖様たちが喜んでる気がするということ。 書きましたよ~^^ もしわたしだったら、400年以上もたって後の世の人が、自分のことを知ってくれたり、思ってくれたら、絶対うれしい。 それは今ブームになっている武将のみなさんも一緒だと思います。 生きるのも大変な時代を、わたしたちのところまで命や歴史、文化をつないでくれた人たちがいる。 その人たちのおかげで、今のわたしたちや、今の時代があるのだと思います。 「美作地侍戦国史考」を読んでいると、大変な中懸命に生きた、ご先祖たちの様子が伝わってきます。 そしてそれは、誰のご先祖でも一緒だと思うのです。 その時代時代を懸命に生きる。 それがきっと、次の世代へバトンを渡すということなのだと思う。 そして、思い出す人がいてこそ、次へつながる。 ご先祖のこと調べるのって面白いですよ♪ 周りにいる人が意外にご先祖つながりで驚くこともあります^^
by songsforthejetset
| 2009-11-19 12:50
| 芸術いろいろ
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