ご先祖がつなぐ縁 祖父・牧 栄太郎と牧 祥三先生と司馬遼太郎さん


前回のブログに書いた、ご先祖の牧籐左衛門家信のこと、もともとは子供のころからわたしが祖父からよく聞いていたことでした。

といっても、自分のところのご先祖を、家の外以外で知っている人がいるなんて、考えたこともありませんでした。
そして、どこの家にもこういったご先祖がいて、おまつりされているものだと普通に思っていたので、自分のところのご先祖を知らないという友達の話を聞いた時に、すごくびっくりしたのを覚えています。

といっても、わたしもたまたまおじいちゃんが熱心だったから知っているだけで、おじいちゃんが自分たちの世代が守ってきたことを残していなければ、全く知らなかったと思う。

牧藤左衛門家信から数えてわたしで22代目なので、わたしと同じくらい血がつながっている方は他にも何百人もいらっしゃると思うし、どなたでも22代くらいさかのぼって行けば、今でもその足跡をたどれるようなご先祖とどこかでつながっているのだと思うのです。
わたしはたまたま祖父のおかげでそれを知っているだけ。

祖父・牧 栄太郎は1903年(明治36年)生まれ。
先祖供養にとても熱心で、ご先祖の供養塔や記念碑の建立のほか、作陽誌や真庭郡誌、美作古城誌などの書物、古文書、お寺の過去帳、史跡の石碑などを3年かけて調査、牧一族の来歴や系図などを纏め、約11mに及ぶ巻物や口碑録を残しました。

祖父はとてもご先祖をお祭りするのに熱心だったのですが、家族はあまりに聞かされ過ぎたせいもあり、そんなに特別なことだとは誰も思っていませんでした。

毎年春に、みさきさまと呼ばれる、元居城のあった山の古墳跡に登ってお参りするのが年中行事になっていて、道が整備されてない普通の山なので、毎回非常に大変だったのを覚えています。

でもそんなふうに、祖父が熱心にご先祖のことをわたしたちに言い続けてくれたおかげで、こうやって自分のルーツを知ることができているし、そこから色々なご縁をいただいています。
本当に感謝です。

祖父のところに、「美作地侍戦国史考」執筆の際にお電話してこられていたのが、牧祥三先生。

1907年(明治40年)生まれの牧先生は、元大阪外国語大学学長で、ドイツ語およびドイツ文芸思想史をご研究なさっていた方。
著書に「歴史と解釈」、「美作地侍戦国史考」、また、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」文庫版の1-9巻解説をご担当なさっています。

「美作地侍戦国史考」は、わたしがご先祖のことに興味を持った際に、偶然岡山県立図書館で発見した本で、美作の牧氏について書かれていて驚いた本です。

驚きはそれだけでなく、その本が、すこし読んだだけでも、著者の幅広い教養と高い専門性、深い思慮と高雅な人柄が伝わってくる類い稀な本だったこと。
こんな歴史書を読んだのははじめてでした。

あまりにも素晴らしい本なので、いったいどんな方が書かれたのか一度お会いしてみたいと思い、京都のご自宅をお尋ねしたのが2007年の4月でした。
その時のブログ

その後もずっと、ご家族の方と年賀状などのやり取りをさせていただいていました。
そして、今年の2月の、おふくの会の講演会のお話をいただいた際に、ぜひ牧先生のご本の紹介もさせていただきたいと思い、執筆当時のお話をご家族にお伺いできないかと思い、ご連絡してみました。

そうしたらなんと、泊りにいらっしゃいと呼んでくださったので、お言葉に甘えてご自宅に宿泊させていただくことになりました。

牧先生は現在104歳とご高齢でいらっしゃるため、残念ながらお会いしてお話することはできなかったのですが、息子さんご夫婦にもったいないほどの歓待をしていただきました。
とても素敵なご夫婦で、お2人とも多趣味でいらっしゃって、お話をお伺いしていて時間があっという間に過ぎるようでした。

翌日お2人が、もう1日泊ってゆっくり観光したらと言ってくださったのですが、まだ1回しかお会いしたことのないお宅に2泊もさせていただくなんて絶対ありえないと思ったので、その日大原と京都市内を観光して帰ろうと思っていました。

しかし、朝ごはんの後、奥様とお話が弾み、いつのまにかもう11時近くに。。
出発が遅くなってしまい、奥様も泊ることをすすめてくださったので、恐縮至極でしたがもう一泊させていただくことにさせていただきました。

普通ほとんど面識のないお宅に2連泊させていただくってありえないですよね。。(T▽T)
わたしも自分で不思議だったくらいです。
本当にありがとうございました!!

2泊目の夜、たまたま牧先生の経歴のことをお話していた際に、息子さんが出してきて下さったのが、鹿児島の旧制七高の同窓会誌「IDENTITY FOR MYSELF」の牧先生の100歳記念特集号でした。

以前、旧制七高で教鞭をとられていた牧先生。
先生の書かれた文章をはじめ、教え子の皆さんが先生の思い出を寄稿なさっています。
おふく様や牧一族について書かれている文章もあり、とても読みごたえのある一冊で、夢中になって読ませていただきました。

その中で、卒業生の方の文章に目がとまりました。

最近の先生からのお便りに、「当方老年の仕事としての『美作地侍戦国史考』のあとを継いでくれる人が乏しく、残念に思っています。(中略) この仕事を利用活用してくれる後人が生まれることを期待しています。」とあり、このご本に寄せられる先生のなみなみならぬ熱意を感じております。

託された。。

と思いました。
これは先生からのメッセージだと思った。

今回こちらにお伺いさせていただいたのは、きっとこの先生からのメッセージをいただくためだったのだなあって思いました。
きっと牧氏研究してる方なんて他にいないし。。
わたしは歴史に詳しいわけではないのでかなり不安ですが、わたしでよければ引き継がせていただきます(T▽T)。。

と思っていたら、それから間もなく、おふくの会講演会でご一緒させていただいた森俊弘さん、宇喜多家史談会でお話し下さった大西泰正さん、そしてツイッターからフォローしてくださった渡邊大門さんという宇喜多氏研究の第一人者の皆様方と一気にご縁が広がりました。

嬉しい(T▽T)。。
講演の準備の際に、図書館で資料を読んでいて、皆さんのお名前を拝見していたので、とても有難く心強いです。ありがとうございます!

「IDENTITY FOR MYSELF」、必要な部分はiphoneのカメラでは撮影したのですが、やはり可能なら一冊分けていただけないかと思い、お世話をしていらっしゃる卒業生の方にご連絡をさせていただきました。

牧先生のご研究を講演でご紹介したいので、とお伝えしたところ、とても喜んでくださって、貴重な一冊をお送りくださいました。
ありがとうございました!!

そしてなんと!
「IDENTITY FOR MYSELF」次号へ、原稿のご依頼をいただきました!
光栄です。。(T▽T)

講演の模様をぜひご紹介くださいとのことで、牧先生に関することはみんなも聞きたいから、とのことでした。
そのお話をなさるお声にも、牧先生を大切に思う気持ちがとても感じられて、本当にいい先生でいらしたのだなあって実感しました。

以前にも、ブログに旧制高校の寮歌祭のことをすこし書いたのですが、やはり旧制高校って、古き良き時代というか、とてもロマンを感じる存在です。
そんな同窓会誌に、思いがけずご縁をいただいて、とても嬉しいです。
ありがとうございます!

3年前の4月に、牧先生を思いきってお訪ねしていて、本当に良かったと思います。
100歳とお年を召していらしたけれど、お話もさせていただくことができたし、伝わってくるお人柄、魂は、ご本からわたしが感じた、まさにそのままでした。
本当に、お元気なときにお話を心ゆくまでお伺いしてみたかった。

先生のお生まれは大阪ですが、お家はもともと津山のご出身で、牧藤左衛門のお兄さん(牧河内)の三男にあたる牧左馬助のご子孫でいらっしゃいます。
つまり、先生のところのご先祖とわたしのご先祖は、450年くらいさかのぼったらつながるというわけです。

数々の武功をあげ、歴戦の勇士と謳われた牧左馬助は、津山の森忠政に仕え、津山市田町の藩邸に住んでいたそうです。
ご紹介されているブログがありました。津山武家屋敷 

司馬遼太郎さんとも親交が深かった牧先生。

先生のところに届いた司馬さんからの年賀のお手紙を、ご家族が額装なさっていました。
人間味あふれる、独特の字体です。


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先生は1907年のお生まれ、司馬さんは1923年と、16歳の隔たりがありますが、お2人の著作を読ませていただくと、根源的な部分がとても良く似ていらっしゃる気がします。

とても大きな知性、人間という存在への温かい視点、洞察力、そして向日性。
お2人の美しい文章に接するといつも、きっとお人柄もよく似ていらっしゃるのだろうなという印象を受けます。

どちらも本当に、気品を感じさせる文章。
人柄は文章に出ると思うのです。
司馬さんは広く世間の方に読まれる小説、牧先生は学術分野とフィールドは違ったけれど、きっと、お2人の持つ品格の高さが同じだったのだと思う。
専門分野が違っているからこそ、気の置けない、響きあう存在だったのではと思いました。

牧先生の人柄にとても親しみを持ち、また大変に尊敬なさっていることが、司馬さんが書かれたお手紙からも感じられます。

こちらは、「翔ぶが如く」の連載を終えられた司馬さんが、北近江の鶏足寺にいらっしゃったときのスケッチです。


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こちらは絵に添えられたお手紙。
「いたずら書きをしました。」と書かれています。


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司馬さんからの先生へのお手紙。
そこには、同じ感覚を共有する者同士の空気感が流れているのを感じます。

『美作地侍戦国史考』も、司馬さんが大変褒めてくださっていたそうで、出版パーティーの席上でも、
「この大著は専門の歴史家でもなかなか及ばぬもので、後進の人達に何よりの文献になる」
と絶賛されていたそうです。
これはその時の様子。


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こちらは息子さんご夫妻からいただいた、牧先生の論文集『歴史と解釈』と、牧先生が解説を担当なさった、司馬遼太郎さんの『街道をゆく』文庫版です。

なんと、この『街道をゆく』の文庫本は、発刊の際に司馬さんから牧先生へ贈られたものなのだそうです!


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そんな貴重なものをいただくのは申し訳ないとお伝えしたところ、2冊づつあるので心配しないでと言ってくださり、父が喜ぶからとも言ってくださった。
本当に感動でした。
ありがとうございました!!
大事にします。

わたしは司馬さんの『坂の上の雲』が大好きで、東京に行った際には足を延ばして、横須賀の戦艦三笠に行ってきたくらいなのです。
嬉しい。。

思わぬご縁で、好きなものがどんどんつながっていきます。
これもご先祖さまにつないでいただいてるのかもしれません。
本当に感謝です。

ご先祖のことを知ろうとすると、思わぬご縁があったり、びっくりする事実が浮かんできたりと、本当に楽しいです。
またそこでいろいろと広がってきたりするので、自分のご先祖をご存じでない方も、もしご興味があったら調べてみられること、おすすめです。

これはおふくの会の講演会の資料の最後に書いた言葉です。

自分が持っているものの価値に気づいて、その中で自分ががんばること。
それが「人の幸せの役に立つこと」で、「自分が本当に好きなこと」なら最高だと思います。
今自分がいる場所、自分の「普通」の中に、未来につながる種は必ずあるもの。

せっかく持っている自分の能力を、人のために使わないのはもったいない。
自分の道をみつけること。
能力を発揮しはじめた時、いろいろなことがうまくいくようであれば、その道は正しいということ。
これをしなさいと目に見えない力に応援してもらっているということ。

他の人の幸せのために努力して、自分も幸せになる生き方を、きっと誰のご先祖でも望んでいる。
そして、自分たちのことを語り継いでいくことを喜んでくれるのだと思います。

近年、スピリチュアルなことがブームになっているけれど、もともと人間はそういったことと隣り合わせで生きてきたもの。
古来より日本人は、祖先や山川草木すべてを神様として拝んできて、自分たちが自然の中で生かされていることを知っていた。
思い通りにならない人生を生き抜く知恵を、自然や、その向こうにある目に見えない世界から与えてもらっていた。
科学で説明できないことが存在するのは自然なことで、人間と目に見えない世界との関わりは現在でも深いのだろうと思う。

作品を制作する時、天然石に触れていると、それぞれが確かに、何かのメッセージを持っているのを感じます。
石が自然の一部であるということと、わたし達も自然の一部だということで、そこには伝わる何かがあるのだと思う。
そんな時、人は、今までに生きた命から、無意識にいろいろなものを受け取っているのだと感じる。

今までに生きた、たくさんの命の集合体が、真・善・美や人々の幸せを願っているもの。
それがきっと、「神様」と呼ばれているものなのだろうと思います。
わたし達のご先祖も、その中にいて、今に生きるわたし達のことを見守って、応援してくださっているのだろうと思う。

自分が情熱を注いだことは、きっと、亡くなってからも残っていてほしいと思うもの。
そして、自分が一生懸命がんばったことを認めてほしい、伝えて行ってほしいと思うのは、誰しも同じことだと思います。

ご先祖の人となりを知ろうとすること、その生きた軌跡を残そうとすることは、何よりの供養になるのではと思います。



皆様ありがとうございます。
たくさんのご縁に感謝です(^-^)。
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by songsforthejetset | 2011-04-15 00:01 | つれづれ | Comments(4)
Commented at 2011-12-04 16:27 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by songsforthejetset at 2011-12-04 21:32
>鍵コメントさま
はじめまして。わたしもそんなに詳しくないので、また聞いておきますね。ご先祖のことわかったらいいですね。
Commented by 源行近 at 2015-01-27 11:01 x
はじめまして源行近(本名ではありません)と申します。古い記事のコメントですが宜しかったでしょうか?

出雲在住で山陰の歴史を中心に研究していますが、出雲真木氏の謎解きをしていたところで久世町史と出会いました。掲載された牧氏の系図が目に留まり桓武平氏の流れで城氏の末裔となっていました。私は違和感を感じていまして武蔵七党の児玉氏系の庄氏の末裔ではないのかと考えています。それは久世町史では牧兵庫助は資直となっていて、同じ資直が庄氏系図にも見られます。現在の研究ではどのようになっているのでしょうか?

古い資料しか見れないので何かわかりましたらお願い致します
Commented by songsforthejetset at 2015-02-06 01:33
>源行近さま
はじめまして。コメントのお返事が遅くなってしまって申し訳ありません。
牧先生のご本や手元の資料など読み返してみましたが、確実に公的な記録に残っているのは、応永5年(1398年)高田神社の修復の棟札に執事牧左近介の名前があるということが最も古く、それ以前はわたしにもわからないのです。。
源氏か平氏かということに関してはそれよりもっと古いことで、自分もそれほど気にしたことがないので、ウィキペディアに城氏の末裔の記載があって驚きました。
その時の時流の流れで、本当は平氏でも源氏と言っていたり、名前を変えたりということが昔はあったのではという気がします。
牧兵庫介は尚春しか知らないのですが、資直もいたのかもしれませんね。
お役に立てず申し訳ありませんが、出雲真木氏や庄氏などはじめて知ったことでとても新鮮でした。ありがとうございます。
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